Don't forget for me

思ったこととかを書き連ねます。筆者が恋ばっかするのは使用です。

泣く気はなかったはずなのに

祖父がボケた.

 

人生100年だとか謳われる今,珍しい話ではないとは思う.

しかし実際その身内にもなると,予想していた以上に精神がまいってしまった.

 

コロナが流行り,世間的に実家に帰省だ県の移動だとかが躊躇われた2021~2022年.

2021年はまだ大学生だったため,祖父母の家には確か訪れている.

2020年くらいの,コロナが流行る前には1~2週間に1回くらい泊まりに行った時期もあった.

 

2022年の年始,私は実家には帰れども,祖父母の家には訪れなかった.

初めての一人暮らしでの遊びたさ,更年期で鬱になって暴れた母(私が家を出るころには薬で落ち着いてはいたが)のいた実家への抵抗,コロナ感染の心配.

私は少し早めに実家から今の家に戻り,元の日常へと戻ったが,親や兄弟たちは会いに行ったと思う.

 

何であれ私が祖父に最後にあったのは2年前,まだボケてはいなかった.

元々寡黙な爺さんだったし,話すこともなかったから,会話の中ではわからなかったけれど,動作が少しゆっくりとして,背も曲がり,ぼやっとしてるなぁ...という印象があったから,死が遠くはないのだろうな,と不安に思ったのは覚えている.

 

そんでもって今年.具体的には昨日.

久しぶりに見た祖父は見た目が少しみすぼらしく,あぁ,年取ったな.くらいだった.

でも,そばにいた叔父から「爺さんボケちゃった」「ほら親父(祖父のこと),孫だよ名前分かる?」で私の顔を見た祖父は困っていた.

3姉妹だから,一番年の低そうな私を見て「○○(私の名前)…?」と怪しそうに,でも1番最初に言う祖父に衝撃を受けた.

祖父自身が「もう年だから30分前くらいのこと忘れちゃうんだよ」とも少し冗談のように笑っていた.

 

そうか,もう,わからないんだ.

 

まだ孫だ,名前がギリギリ出た私はマシだった方で,横にいた姉たちは名前がすぐに出てこなかった.

昔は厳しい人で,良くも悪くも昔の人だったから,女は大学なんて,みたいな思想もあったらしく,実の娘息子からは距離を置かれ,祖母は祖父のことを嫌っているのか話したりしない,しても怒っていることが多かった.

 

人間,話さないとボケるんだな.

家族の話についていけず,おいて行かれ新聞を何度と見る,手前の菓子を食う.

祖父の実家があった宇都宮で買った栃木の土産を持って行ったが,「こういうの好きなんだよ」と嬉しそうに言って全部食べてた.今思えば持っていって,買っといてよかったな.

 

だめだ.丁寧に書けないや.

 

ボケた爺さん.爺さんっ子だったから忘れられるのは寂しい.

私が今の職に就こうと思ったきっかけのじいちゃん.

姿勢もしっかりしてて,親にはあまり好かれていなかったけど,私には甘くって,大体かわいい孫を見る目でお願いも聞いちゃってた.

犬の散歩について行ったりしてた.大学で遅くなって行くと心配してた.

ストーブ前にいて布団渡してくれた3~4年前.

 

じいちゃん.

 

まだ私がわかるうちに,名前も正直あの日のうちに消えてるだろうけど.

話せるうちに.

ツーショットも,笑ってる写真撮っておいた.

 

寂しい,寂しいんだよ.

まだ死んだわけじゃないけれど.

私の中から全部薄れていく思い出も,じいちゃんの中から消えていく私を実感するのも.

 

帰りの車に乗った時,叔父が祖父に「ほら,名前分かる?」といった.

手前にいた姉の名前は間違え,呼びなおしていた.

奥にいた私は見えなかったか,それとも出てこなかったか,私は名前を呼ばれずにそのまま車は動き出してしまった.

 

じいちゃん.

 

次に会うのはまた来年だろうか.その時にはどこまでわからなくなっているだろうか.

車の中で日本人男性の平均寿命と祖父の年齢がほぼ同じことを見て苦しくなった.

 

目の前にいた知っているはずの老人は,いつか私の知る人ではなくなっているのだろうか.

やりきれない思いが胸を燻る.

 

昨日,私の足をくすぐって悪戯した,じいちゃんはもういなかった.

一番最近みた,心配してくれたじいちゃんでもなかった.

ただ変わらない優しい笑顔と話し方だけがそこにあった.

 

じいちゃん,いままでありがとうね.

また会いたい.というこの願いは,どうなるのだろうか.

 

じいちゃん.

どうか苦しまずに,残りを生きてくれ.