Don't forget for me

思ったこととかを書き連ねます。筆者が恋ばっかするのは使用です。

鬱だった親の元を去った三女の話

私が二十歳の頃、母が精神病院に入院した。

そんな母親と育った家から、先月私は去った。

 

親が発狂した時の物事に今回は触れず、現状の私の燻ったこの思いと心残りに似た物を書き連ねようと思う。

 

胸にあるモヤの原因は、親が鬱になった理由に起因する。

気が強い母親は鬱になったのか?私の推測と医者の診断結果より考えられることは、以下の通りである。

 

・更年期鬱

・父親の圧

・子の独立

・その他

 

[更年期鬱]

これは診断結果による。実際50〜60にもなれば十分にあり得るし仕方ないとも思える。

キレやすくなるのか悪くなってきた頃には、毎晩のように父親と喧嘩をしていた。

 

[父親の圧]

ここから先は推測でしかない。

父親と言っても母からしたら夫である。親の年代からわかるように、ジェンダーレスとか意識の薄い…よく「女のくせに」とか言うタイプの……ステレオタイプ?に近い父親である。

正直なところ父も母も好きでは無いので、どちらかに加担する気は無いが、グチグチ気に入らないことを独り言のように文句を聞こえるように(特に母に)言うのはどうかと思う。私も毎日そんなもの聞きたくない。滅入るし腹立つ。

 

[子の独立]

私は兄弟の3人目、末っ子である。母は20近くで1人目を産んでから30年ほど育児をしてきた。

その3番目がいなくなる喪失感は大きかったのだろう。発狂した時の夜中、1人泣きながら「寂しい」と洩らしていたその言葉は未だに私の胸を時折抉ってくる。

 

[その他]

趣味も友達もいなかった母、誰かに相談できる状況も、発散するものも無かったように思える。それに元の性格かは分からないが喧嘩っ早いためコミュニティに上手く溶け込めてはいない印象があった。

正直多分これは今も変わっていない。

 

 

…父からは「昔はもっと優しかった、笑っていた」などと聞いていたが、私の知る限りで優しい母の姿など殆どない。

上の2人も母と連絡をほぼ取らない所を見ると同じような状況だったのだろう。記憶にある姉達と同様に、怒られたり悪態つかれるのは勘弁してほしい。

 

色々あって鬱(症状としてはモンスター)になった母親だが、鬱になる前の優しい姿など殆ど私には無い。

要するに私は母を精神病院に送られるまでは嫌い、早く会わないようにしたい、と思っていた。怖いからね。

 

しかし、人は、人は変わる。

優しかった(らしい)母は発狂し、

発狂した母は病院生活を経て元に戻り明るくなった。

(薬ってすごいね)

 

元に戻った(真?)母親と一緒にいたのは1年〜2年程度だし、私は学校に行ったり戻るのではないかと避けていたから実際に関わった時間はもっと短いと思うが、それでも過去の恨みを許す…

許容?するだけの心のゆとりは1mmくらいなら出来た。

 

つまりのことモンスターと化していた母を後ろから殺意を持った目で見ず、「母親」という認識ができるようになった。大進歩である。

 

しかし、子の独立という面で、親を鬱にする原因となった私は、この進歩が苦しい。

今までどうでも良かった存在が、どうでも良くなくなってしまった。

 

鬱になるほどまでに懸命に育ててくれた母を、あの父の横に置き見放す。

子の育成に力を入れ、いなくなる悲しみを洩らした母の姿は私しか知らない。

上の兄弟は帰る素振りも連絡も少ない。(これは人のこと言えない)

 

…私が、私だけが母の苦しみを知る。

 

しかし既に家を去る準備も、仕事も決まった。

父親の下にもいたくはない。家にいて何をしたらいいか分からない。

 

 

結局、私は我が身可愛さであの家を出たのだ。

藁もなく手も伸ばせず、1人悩み苦しんだ母。

面倒な口煩さと遊んでくれた父も置き去った。

(触れていないが父は悪い人間ではない)

兄弟は親の面倒を見るのだろうか。見ないだろうな。

 

これらの考えが今も私の心の隙を見てモヤを作る。

これを書いて現状をまとめたら頭が纏まるかもしれない!と思ったが、変わらずどうすべきかも分からず、焦げた頭だけが出来上がってしまったので、取り敢えず書き終えようと思う。

 

以上。